大判例

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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)121号 判決

原告

瀬戸謙

右訴訟代理人

高橋庸尚

被告

東京都知事

鈴木俊一

右指定代理人

青木隆蔵

外一名

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める判決

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和六〇年六月二一日にした、原告飼育中の猫を原告の肩書住居から外へ処置せよとの命令及び原告が同住居において猫を飼育することを禁止するとの命令をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は肩書地所在の都営アパート一二号棟の入居者で、その居室内で猫を飼育している者であり、被告は東京都営住宅条例(昭和二六年条例一一二号。以下「住宅条例」という。)に基づき都営住宅の管理権を有するものである。

2  本件回覧

被告は、昭和六〇年六月二一日、原告居住の都営アパート一二号棟及び隣接の一三号棟の各入居者に対し、別紙記載の内容の文書(以下「本件文書」という。)を回覧させ、原告も同日これを回読した。

3  本件回覧の処分性

(一) 本件回覧は、被告が原告に対し、規則上禁止されていないはずの猫の飼育を禁ずるとの禁止命令と、原告が現在飼育している猫を住宅外へ処置せよとの作為命令を表示したものである。

(二) 本件回覧の方法は、原告の居住する一二号棟及び隣接する一三号棟の各入居者に、号棟、部屋番号を明記のうえ、それぞれ捺印あるいは署名をさせて回付したもので、その指示内容が各入居者に到達したことが明確になるような形式をとり、被告の各入居者に対する意思すなわち命令であることが客観的に表示されており、不特定多数の者に対する単なる意思の広告とみることができないことは、その文体をみても明らかである。

(三) 被告知事が都営住宅の管理権を有することは、住宅条例一条、三条、二二条等の規定から容易に窺われるところであり、本件回覧による命令は、右被告の管理権の行使としてなされたものである。管理権行使のために命令を発する権限は、住宅の入居者その他の者に対する命令権なくしては管理権の行使が不可能であることから、条理上当然の権限として認められるものである。

(四) また、住宅条例二〇条一項柱書は「知事は、次の各号の一に該当する場合は、使用者又は当該都営住宅の入居者に対し使用許可を取り消し又は住宅の明渡しを請求することができる。」と定め、同項五号は「この条例又はこれに基く知事の指示命令に違反したとき。」との規定を設けている。被告は、右条項により都営住宅の使用について指示命令を発する権限を有しているのであつて、本件回覧は右条項に基づく命令の伝達としてなされたものである。

(五) 右のとおり、本件回覧は原告の権利・利益を侵害する行政処分に該当するものである。

4  不服事由

本件回覧による命令には次の点で不服がある。

(一) 右命令は従前規則で禁止されていなかつた猫の飼育を一方的に禁止するが、これは被告の恣意に基づくもので、合理的根拠を欠くものである。

(二) 憲法上保障された原告の幸福追求の権利を侵害するものであり、憲法上の法定手続の保障にも違反する。

(三) 「動物の保護及び管理に関する法律」の趣旨に違反し、原告に動物の虐待を強要するものである。

(四) 動物愛護の人間的精神を無視し、これを破壊するもので、社会の美風、良識に反する。

よつて、原告は被告に対し、前記各命令の取消しを求める。

二  被告の本案前の主張

本件回覧は、以下に述べるとおり、取消訴訟の対象となる行政処分には当たらないから、本件訴えは不適法である。

1  本件回覧の経緯

昭和六〇年五月一七日、原告が居住している東京都新宿区戸山二丁目所在の都営住宅「都営戸山ハイツアパート」の南地区自治会長(以下「自治会長」という。)から、都営住宅の管理を担当している東京都住宅局管理部(以下「管理部」という。)に、「最近、犬猫などの動物の飼育により迷惑を受けたとする居住者の苦情が多いため、他人に迷惑をかける動物飼育を禁止する趣旨記載の印刷物を送つて欲しい」旨の電話があつた。そこで同月二〇日、管理部の職員は、管理部名の「都営住宅居住者の皆さんへ」と題するビラ複数枚を右南地区の各号棟用として、右自治会長宛送付した。そして、右自治会長から右ビラが六月一九日ころ各号棟へ配付され、原告を含めた居住者の回覧に供されたものである。

近年、都営の集合住宅の居住者の一部が飼育している動物の鳴き声、抜け毛、糞尿等による騒音、悪臭等のため、居住者の間でトラブルが激増し、伝染病発生のおそれもあり、居住環境が悪化したとして、管理部或いは、都営住宅管理の業務を分担している都営住宅サービス公社(住宅条例二二条の二)又は管理人(同条例二二条)に対して居住者から苦情が多数寄せられている実情があるため、右ビラは、既に、入居時に注意事項として周知させている事項を再度徹底させる目的で右と同趣旨の注意事項を記載したもので、各自治会長から要望のあつた場合に送付し、居住者に回覧に供するため、従前から管理部において作成していたものである。

2  本件回覧の処分性の欠如

(一) 通常、知事の命令といえるためには、行為主体が知事であることを客観的に明示するとともに、行為の対象である客体を特定し、さらに、行為を明確に具体化するため法律、条例等の根拠条項を明記する等の形式を備え、一定の手続のもとに、行為客体に知事の行為意思を到達させる等の態様を備えているものであるところ、本件回覧は、右1のとおり、東京都住宅局管理部の名により、都営住宅の居住者一般に対して、注意事項を回覧用ビラの配布によつて周知させたものであり、その形式、態様からみても知事の命令には当たらない。

本件回覧は、都営住宅及びその環境を良好な状態に維持し、入居者をして静穏に居住させる義務を有する(公営住宅法一一条の三参照)都営住宅の貸主としての東京都の所管部が、右義務を履行するために、居住者一般に注意を喚起するために行つた事実行為であり、行政庁がその優越的な地位に基づき権力的な意思活動として行つたものではない。

(二) また、本件回覧は注意事項を都営住宅の居住者一般に広く知らしめる行為であつて、特定個人に向けられた処分ではなく、それだけで直接具体的に特定人の権利義務に変動を及ぼす性質の行為ではない。

(三) 以上のとおり、本件回覧は公権力の行使としてなされたものではなく、また個々の特定人に対する具体的処分でもないから、取消訴訟の対象となる処分には当たらない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件訴えは、要するに、都営住宅の管理権者である被告が、原告を含む都営住宅の入居者に対し別紙記載の内容の本件文書を回覧させたことについて、これをもつて、原告に対し、(1)住宅内で飼育中の猫を住宅外へ処置し、(2)今後住宅内で猫を飼育してはならない、という内容の作為及び禁止を命令した行政処分をし、これを通知したものであると解して、その取消しを求めるものである。

二そこで、本件文書の回覧が行政処分に該当するか否かについて検討する。

原告の居住する都営住宅の使用関係は公営住宅法(以下「法」という。)及び住宅条例により規律されているが、法は国及び地方公共団体が協力して健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とし、公営住宅の建設及び管理等につき必要な諸規定を設け、また、法二五条の委任等に基づき制定された住宅条例も、使用申込、申込者の資格、使用者選考等の細目的な定めを置いている。そして、右法及び条例によれば、入居者の募集方法、選考基準等について詳細な規定を設け、都営住宅への入居を知事の使用許可(住宅条例三条、八条二項)にかからしめるなど、こと利用関係の設定に関する限り公法的な規律がなされている一面があることは否定しえない。しかし、一旦使用許可を得て都営住宅に入居した後の入居者と事業主体である都との住宅の利用関係は、前示のような公営住宅の制度目的に由来して設けられた法または住宅条例の規定によつて、通常の私人間の家屋賃貸借関係とは異なる権利義務関係が一部にはみられる(法二一条の三、住宅条例一九条の七等)ものの、その規律方法の基本においては私人間にみられない特殊な方法(公法関係としての規律)を用いているわけではなく、基本的には私法上の家屋賃貸借となんら異なるところはないのであつて、法または条例に特段の定めのない限り民法及び借家法によつて規律される法律関係にほかならない(最髙裁判所昭和五九年一二月一三日第一小法廷判決・民集三八巻一二号一四一一頁以下参照)。

そして、文書の内容、形式をみても、本件文書は、事業主体である都の担当部局の住宅局管理部の名で入居者各自に対し、当該住居の使用収益方法の一態様であるところの小動物の飼育について、アパートであることからくる共同生活上の注意を呼びかけているものであつて、その法律上の性質は、当該住居の利用を目的とした法律関係から生じる使用収益方法に関する入居者の善管義務の履行あるいは信頼関係の維持・遵守を促すところの、貸主としての催告(その内容が入居者との当該住居の使用関係に法律上適合したものであるか否かは本件では判断の限りでない。)の域を出るものではない。したがつて、これが個々の入居者に対し行政権の優越的な意思の発動としてなされたもの、すなわち行政庁の意思表示に行政法規が一定の法律効果の発生を認めている場合の当該意思表示であるとは到底認められない。

また、実質的にみても、本件文書を回覧に付した行為に行政処分としての効力を認め、私人相互間の関係と区別して取り扱うだけの必要性もしくは合理的根拠は現行法規を前提とする限り、見出せない。なお、本件文書は、都営住宅の貸主としてする「指示命令」のような表現をとつてはいるが、一般の家屋賃貸関係においても、賃貸人は賃借人に対し用法違反等の債務不履行の事実があると思料して、その是正(履行)を求める催告をする場合には、同様の表現を用いることは日常みられるところであつて(その履行がなければ契約を解除することができる。)、右の表現自体(原告のいう「文体」)が公権力性を肯定する根拠となるものではない。

三原告は、本件回覧は、住宅条例二〇条一項五号により被告が有する都営住宅の使用についての入居者に対する指示命令権に基づき発せられたものであつて、その違反は入居者に対する明渡請求の根拠となりうるから、その処分性を肯定することができると主張するもののようであるが、右条項が被告に包括的に指示命令権限を付与する根拠規定となるものでないことは文理上明らかである。また、都営住宅を管理する権限が被告にあることは、地方自治法一四九条六号及び住宅条例の諸規定から明らかであるが、その管理権に基づく行為であるということから直ちに当該行為に公権力性が付与され、その処分性が認められるものではないこともいうまでもない。

四以上のとおり、原告の主張にかかる被告の行為は抗告訴訟の対象たる行政処分には当たらないので、その余の点を判断するまでもなく、本件訴えは不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本和敏 裁判官太田幸夫 裁判官塚本伊平)

都営住宅居住者の皆さんへ

東京都住宅局管理部

近頃、当アパート内で、犬、猫などの動物を飼育している方が居るようですが、アパート内での犬、猫、鳩など、他人に迷惑をかける動物の飼育はかたくお断わりしております。

これらの動物を飼育すると、鳴き声、抜け毛、フン尿などによる悪臭で居住環境を悪化させ、居住者間のトラブルの原因にもなります。

このことについては、皆さんが入居する際に配布しました「都営住宅の住まいのしおり」や「すまいのひろば」などでお知らせしてあるとおりです。

都営住宅のような共同住宅においては、生活に一定のルールが必要です。一人ひとりがルールを守つて、人に迷惑をかけずに、自分達の生活の場を良くしようという前向きの姿勢を持つていただきたいものです。

毎日のように顔を合わせる共同生活のなかでは、相隣関係の悪化を心配して、気にしないようにしたり、苦情も言わずにじつと我慢している人が大勢いることを認識してほしいものです。

つきましては、現在これらの動物を飼育している方は早急にアパート外に処置し、今後アパート内で飼育することのないように十分注意して下さい。

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